著作権

ただその個人の表面の為にあらず、ただ社会の表面の為にあらず。
利用し難い事が必ずしも悪ではない。
理解し難い事が悪ではないか。
知る努力もしない者がそれにつき論ずる事が倍悪い。


アナタはなぜそれが悪いと思うのか、その理由が表層という物事の見えやすい極一部しか掠めない物である時、それを主張したら・・・。

愛国心についてのメモ

愛国心は大げさに壮大で素敵である様に語ることもあるけど自己愛の拡大だと思う


一人でいるより集団でいるほうが『自分の』都合がいいから群れを成し
社会を形成して、その社会を徐々に安定した物にしてより『自己の都合を』
優先して守る社会システムをお互いに持つことで『個人』としての生活を守る
その上で時に『自分の都合に』大切な人を守ることにもなる。


時にその社会システムという手段を守るためにそれ自体が目的になることも
あるけれど、それをしなければ本来の目的である『自己の都合』『個人としての生活』が守れないのだから仕方ないし、平時はより社会が『他の社会』よりも
優位に立っていき、『自分の安全』の為のシステムを守ろうとする


愛国心は善い悪いは別にして声高らかに掲げるものじゃなく、
自分の安全の為に社会で共有する根幹意識であるはず

人の話を聞かないで自己保身の解釈に長けた人ってのは狂信的な宗教者とはなすのと同じくらい大変だと解った長野の旅前半。その宗教の名前は平和です。
『平和にも善い平和と悪い平和がある』

民主的や人権をかたるその人が人の話を聞くという最低限必要なことすらせずに一部の意見を自身の中で言論弾圧してたらその民主的おままごとには付き合いきれません。



明日こそ実家に帰ります。

こころ

宿泊先に日本文学全集があったので、夏目漱石(前の千円札のイメージキャラクター)の『こころ』を読んでいます。既読の方には説明いらないでしょうが、書生の「私」が海岸でしりあった「先生」との関係や関わりを深めてきた経過を語ることで物語が進められる作品です。
作中で先生は自身のことを「世に関わりを持つに不適格。」であると評し、過去の事例より「人は基本的に大半の人が善良であるがいよいよとなればその悪性を吐露する。」そしてその被害を被った復讐心を未だもっているが実行していない、しかし「自分は人全てに対して嫌悪感を持っており、それ故に間接的に復讐をしているのだ。」と私に話している。
過去に読んだのは中学か高校の時でこの思想に理解が及ばなかったけれど、今は一定の理解が示せる。人を善人と悪人に分ける二分法の現実とのギャップに違和感を覚えだのは大分昔だけれど、最近ようやく人の人間性を評する時に部分評の総体こそが大事で、不必要なカテゴライズこそ自分の本来持っている判断の自由からの逃走なのだと考えるようになりました。
そんな僕だから、僕の人に対する誠意とは逃げずに相手の部分部分に向き合い、真にどういう人なのかをカテゴライズせずに見て接することなわけですがそれをすると人に冷たいとか誠意がないといわれる悲しい現実。 多くの場合、人は自分を適切に他の人にみられたがる割にだめな箇所を指摘されるのは嫌います。それは本質的には自分の価値を認めている部分に他人の同意が欲しかったり、単純に褒められたいだけだからだとかしてそれに答える事が誠意だと言われます。
そんな人だからこそ善人は善人で悪人は悪人とカテゴライズして騙されたり裏切ると罵るわけですね、わかります。誠意にも種類がある、脱線しましたけど前半の感想文でした。