終わらせること。

雑感、ていうかチラシの裏(笑)
思考の途中経過。
こういうのを何十回か繰り返してマシにしていく。
いつかたどり着けるように。

  • 終わらせること

何かを始めることは簡単です。
始めればいい
何かを終わらせることも簡単です。
終わらせればいい
しかし、はじめたものを終わらせようとして、
始めた人の中で終わらせたとしても、それでは終わってない時がある。
例えば物語や漫画を想像してくれればいい
色々な物語や漫画がありますけど、
あなたが今まで読んだ作品のいくつがあなたの中で終わっていますか?
確かに続きが無いという意味では終わっていますが終わりって
思えない作品、思い当たりませんか?
つまり始まりは1人でもはじめることができるけど
その作品なら作品が終わったと思われる時というのは
個人個人の主観によるんだと思います。
物語が連載終了した時点で終わったと思う人もいれば
作者の中ではまだほんの1ステージ書いたに過ぎなかったり、
作者は終わらせたと思っていても、その作品への議論や
その作品の影響は依然として残る物もあるでしょう。
これは終わらせることをどう定義するかによって、変わってくる問題なのです。
例えば僕が死んだとします。
間違いなく個人としての○○○○(本名)はおしまいです。
しかし、僕が生きてきたことで色々な人に与えた影響や思い出や
作品といった物、さらには僕の体自体は世に残ります。
その時点で○○○○が終わった、と言うには僕の影響を僕には
含めないという前提が必要でしょう。
ではそれでいいのか?
さらに言えば影響がなくなったからといってそれが終わるといえるのか?
僕が生まれ、生きて、死んだ。
この事実はどこの誰も彼も全て忘れてしまったとしても事実なわけで
始まったものは終わらないのではないか。
つまり、
始まりは簡単だ、始めればいい。
しかし本質的に”終わらせる”ことは誰にもできなくて
”終わった”と主観的に思い込みから割り切ることしかできないのではないか。

本質的には全てが終わらない

これはかなり怖いし、同時に嬉しいことですね。