自身の間違いに目をつむる人々。

よくいますよね、自分は間違いなく悪いことしてるのに、
それを人の欠点や悪い点と、比べて相殺して自分の間違いを認めない人。
そしてこれに無自覚な人までいるから結構迷惑です。


A君が火遊びをしました。
しかし、B君が見回りをサボったので事は発覚しませんでした。
それによってとある大事な建物が燃えてしまいました。


この時元を正せばA君が『悪い』です。しかし、B君が見回りをちゃんと
やっていたならば、大火事にはならなかったでしょう。
つまりB君にも『悪い』ところがあるんです。


つまり反省して次に二度とこんな事が起こらないようにするには
A君が火遊びを辞めることはもとより、B君も見回りをサボらないように
するという二つがあれば万全ですね。
これをA君が放火したから悪い、とだけいって
B君が見回りをサボったことをに目をつむれば、いずれ他の子が
何かいけないことをしたときにまた大惨事になるでしょう。
そして迷惑するのは周りの無関係な人々です。


これは人間関係にも言えることで、間違った人に正しいことを言われて
その場で怒って見たところで、結局自分が間違ってたらそれは『間違ってるんですよね』


例えばサークルAの仲間が一緒に活動しないことに不満を持つCは
そのサークルAのライバルのサークルBと仲が良く、サークルBとの対校試合の時は
欠席したり、サークルBの仲のいい人に差し入れをしたりしていました。
これに怒ったサークルAの仲間達はCを「なんで敵と馴れ合うんだよ」と怒りました。
しかし、Cはここで「活動もロクにしない奴が不満のある時だけ仲間顔して文句言うな」
と怒ってサークルを辞めてサークルBに入ってしまいました。


この例題中にも幾つもの問題があると思うのですが、まずは

サークルAの仲間達は活動をするべきである、しないなら文句をいう資格が無い。

批判したいなら自身の行動を正さなければ説得力なんかでない。


次に

Cは個人的には仲良く付き合っていても試合やサークル活動の中ではケジメをつけて
参加しているサークルの活動に専念するべきである。
つまり仲がいいからこそ自分が相手をする!くらいの意気込みが欲しいところです。

こちらも同様で批判したいなら自身の悪い箇所を正し、理路整然と
文句をいえばいいだけの話で、それを正さずに文句だけ言うのはもはや我侭である。


この例題で誰が一番被害を被るか、それは両者が大切にしてたであろう、
サークルAの真面目に活動していた仲間達でしょうね。
そして一番喜ぶのは誰か。


自覚して考えていただきたいところですね。


キレるのは簡単です、投げ出せばいいんですから。*1
でもそこを落ち着いて冷静に対処することができる人が、僕は素敵だと思います。

*1:その後はそれなりに大変だけど責任は無くなる