安全について。

より安全な状況を求めるには二つの方法があると思うんです。
1つは危険な可能性を全て排除するという方法。
もう1つは危険な可能性に備え、それに対処する方法を用意する方法。
前者は殺人を犯すのにナイフが必要だったらナイフを無くしてしまったり、
もしくは厳重に管理して販売をするといった方法。
後者はナイフを普通に販売していても護身の手段として身を守る術を教えたり、
そもそも用事等は安全な時間に済ませ、危険の可能性が高い時間には
行動しないといった方法を取ること。
前者の全ての危険性を排除するやり方には二つの大きな問題点があります。

1、全ての危険性を排除することの不可能性

全ての危険性の排除なんて現実的に考えたらほぼ無理です。
日々新たな危険の可能性が生み出され、想像されていくなかで
その全てを規制して事前に予防する術は皆無なのです。

2、危険性の排除はそのまま自由の制限へとつながる

危険な可能性のあるものをはじから排除していくとそれが便利なモノでも
危険な可能性があるというだけで利用不可能になり、かなーり不便になります。
例えば現代で言ったら車だとか刃物類とか紐だとか・・・・・。
これらの制限をすればかなり危険の可能性は減りますが同時に僕らの多くの
選択する自由が侵害されていきます。


と、考えると後者の安全を求める方法の方が断然現実的で安全を求めるのに
とるべき選択であるように思われますが、それでも後者には後者のデメリットがあり、

1、危険度は減るにしても可能性は残っている以上気休めかもしれない

いくら備えたところで危険な可能性が山程あったらそれに
備えて行動しても備えきれるものでもない。


それでは安全な状況とはどのように築きあげていくのが理想なのか。
そもそも人間を過信して何も備えをせずに安全だと勘違いしている人にも
結構いるみたいですが、
基本的に安全とは獲得するものであり、始めから提供される状態ではないんです。


僕が考える安全を求めるベストな選択とは上記の両方を共同で行なうことです。
前者の危険性の排除は過剰に考えたら自由の侵害でしかありませんが、
節度を守ればある程度の犯罪行為の抑止力となることに間違いはありません。
可能な範囲で犯罪の危険性を減らし、そしてそれだけで安心するのではなく、
それと同時にそれらを排除しても残る危険なモノと遭遇したときの対処方法を
用意することでかなり安全性は上がるでしょう。
勿論これで万全といえるわけではなく、
絶対的な安全なんてものは保障はされません。
なぜならこれを保障するには我々の全ての自由を排除しなければいけないからです。
確かに『安全』にはなりますがそれは凄く楽しくないです。*1
自由を求める以上、リスクがそれには伴ないます。
自由と安全は表裏のカードになっていて両方を取るということはできません。
それ故僕らは自由を求めると同時に、安全に十分な配慮をすることが
僕らにできる唯一のベストな選択なのだと思います。


大切な人を守りたい。
でもそれは同時に大切な人の自由を束縛することにもつながります。
難しい葛藤でしょうが上記の事を踏まえて大切な人と良く話し合いを持ち、
当人が安全と自由のバランスを決めるしかないですね。

  • まとめ

安全にも「どの程度安全」という基準がある。
安全を守るには危険な可能性を持つ「自由」を縛らなくてはならない。
安全と自由を個々人の判断でバランスを取っていくことが必要である。
安全は基本的に与えられる状況ではなく、獲得状況である。
大切な人の安全保護は同時に大切な人の束縛にもなっている。

*1:意思すらもある程度コントロールしなくてはこれは不可能