幸せの正体。

幸せについて書きます。


結論から言うと、幸せとは欲求の度合いによって変化します。
欲求が少ない人は生きているだけで幸せを感じれますが、欲求の
度合いが高い人はかなり多くの物や状況がないと幸せを感じれません。


解り易く具体的に言うと、
例えば吉野家豚丼で幸せを感じれる人と、
牛丼でなければ感じれない人。
お風呂に2日に1回入れれば幸せって人と、
1日2回入らないと幸せじゃないと思う人。
人から尊敬されたら幸せな人と、
自分が善いと思える事をしたら幸せになれる人。


様々な場面での個々の人が持っている「欲求の度合い」によって
幸せだと感じれるかどうかが変わってきます。


では欲求を持たなければ幸せか?
いえ、最低限必要な欲求というのもありまして
例えば生きていることに執着する欲求がなければ生きていけません。
生態活動を営みに、生を保つ為には生きていることに対する、
ある程度の欲求は必要です。
ただ、この生に対する欲求が度を過ぎると不老不死を追いかけたり、
人を虐殺してまで生き延びようとするわけで、困ったもんです。


なので幸せを沢山感じる生き方とは、
様々な欲求を必要十分なところで見極め、そこを基準に生きていくことです。


解り易く言うと「欲求」とは「ある・ない」で判断する物ではなく、
「これくらいある」とかって判断するメーターではかるような物なんです。


そしてそのメーターにそって個々の人が満足度を決めているのです。
このメーターの満足度の基準を低くしすぎても高くしすぎても弊害が起こります。


このバランスを上手くとるのが幸せを求める生き方です。


幸せを感じず、幸せを求めている人は同時に何かを要求しています。
何かを要求し、欲求を持っています。
その欲求の正体に気付いてください。
その欲求はあなたの身の丈にあったものでしょうか?
そんなものがなくても別にいいんじゃないでしょうか。
もしかしたら、必要かもしれません。


ただ、欲求に振り回され、自分が幸せになり辛い人生を
選んでしまうのは凄くもったいないです。


幸せになりたかったら分相応な執着、分相応な欲求を
持って生きるだけでいいんです。
そこには宗教なんていりません。
考え方一つです。


A「この宗教はあなたを幸せに導いてくれますよ。」
B「あ、僕今凄い幸せです。」