みんなの九条を考える。
九条改正*1賛成です。
1,法治国家としてその最高法規たる憲法に解離があってはならない。
2,国家の安全保障を考えた時、理想論ではなく現実論として必要。
でも改正に反対し、様々な活動をしている人達にも意見があるのも確かです。
どちらのどの主張が政治的合理性を持っていて、
僕らの選択にふさわしいのでしょう。
- 作者: 『マガジン9条』編集部
- 出版社/メーカー: 集英社
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この本を題材に少し考えて見ました。
全文の掲載は色々あれなので主張の要旨のみを
僕がピックアップして載せます。*2
- 橋本治さん(一人目)
基本的に「なんで改正しなきゃいけない理由があるの?」というスタンス
ふむふむ
自衛隊に関してはうやむやである、しかしうやむやでも問題がなかったら
それを放置しておけるのは他国にはない日本人の利点である。
人間関係や、様々な事情から本来は徹底されるべき事柄が
おなざりにされる、なんてことは確かに日常茶飯事ですね
しかし、問題があるか無いかでいうと憲法論争には問題が
「ある」と僕は主張します。
まず、法治国家と名乗っている以上、その国家そのものが
法律を率先して守るのは当たり前のことで、この「問題が無いから」
なんて話を許してしまえば法律に規定されていることでも
勝手に死文と化してしまうことを認めることになります。
しかも、その判断をするのは誰か、その基準を定めるのは誰か、
まったくもって触れられておらず、危うすぎる論理です。
しかも、そもそも憲法とは最高の権力行使権を与えられている、
国家を縛る最重要な法規であって、それがテキトー*3で管理なんか
されてしまったら一大事です。
国家を縛る規定がないがしろにされたら、
それこそ国家の暴走を招きかねませんからね。
自衛隊は隊であって軍ではない、だから派兵要請が断われる、
戦力的にいえば自衛隊は世界で第二位の軍事力を持つ、
軍事能力を持った集団です。*4
そんな武装集団を名前だけ隊だからというだけで、
どこの国が納得して理解を示してくれると思うのでしょうか。
さらに、派兵の機会なんかは無ければ無い方がいいですが、
国家は無数に存在する今の状況で、先進国の中で大きな力を持った
日本が他国の援助を断わり、手助けを他の国々に押し付けて
いくだけが本当に政治的妥当性を持つのでしょうか、甚だ疑問です。
そもそも戦闘行為は有能な政治をすればいらない。
おっしゃるとおりですが、日本の外交がそれほど有能だと
お思いのなのでしょうか。
これができる人がいたらその人は歴史に名を残しますね。
現在の日本の外交は最低、中国の領事館事件でも北朝鮮にも
毅然と文句がいえない人々が外交を行なっているから。
上の意見との矛盾、ダブルスタンダード。
有能な外交ができない以上、軍も必要。
改正反対派はダメなものはダメと批判してきた、しかしそれでは
通用しなくなってきた、今度は承認の場でしかない国会で
欠席戦術をとって法案の議決を阻止していけばいい。
民主主義の手続きを無視する行為を平気でないがしろに
する精神にはびっくりです。
自身の根拠を示したり、理解を求めたりする方が先でしょうに。
- 香山リカさん(二人目)
順風満帆な人生を送ってきた勝ち組の人が改憲を口にしている
彼等は自身の立ち居地や、財産を守りたいだけで、
それに最近の若者が否定の声を上げないから不思議。
憲法改正は=多くの勝ち組
これはレッテル貼り以外の何者でもない。
根拠が無い話で根拠を作り出すのは無理ですって。
九条を変えようと言っている人達は九条を変えたからと言って
戦争をする国家にはならないと言っているが、楽観的すぎる。
確かに九条を改正したら戦争ができる国になります。
しかし、できる国が戦争をしているか、
先進国だけみても必ずしもそうじゃないですよね。
九条を改正したところで国民の合意や、様々な事情が
重ならない限り、戦争という最後の手段を行使することは
民主主義国家である以上極めて困難です。
さらにいえば憲法九条があったって他国から
攻められたらその時は戦争しかないんですよ。
最悪の不測の事態を想定して国家がそれに備えるのは
国民の生命保護という国家の機能からみても当たり前のことです。
- 黒田征太郎さん(三人目)
人類社会が始まってから、戦後なんて一度も無かった。
世界的に見たらそうでしょうけど、日本だけと範囲を狭めたら
戦争状態でない「戦後」は普通にあります。
それを認めなかったら九条には戦争が防げるなんてこともいえませんよね。
後はこの人の半生の思い出話。
- 広井王子さん(四人目)
今はかなり強いナショナリズムが高まってきている、外的要因(中国韓国等)に
よって高まるナショナリズムはたちが悪いと感じている。
外的要因によるナショナリズムの高まりは必然であっても
感情によることが多く、性質でいえば僕も危ういと思います。
そこで大切なのが冷静に現状を踏まえて、どの程度の
危機管理が必要なのかと考える姿勢だと思います。
なぜなら外的な要因が実質あるのだから、それに対して
なんらかの対応や、検証をして原因を確認しなければ、
「安全」や「平和」に害が及ぶ可能性があるからです。
だから、相手は危険ではないと危機意識を無理やり誤魔化して
ナショナリズムの高まりを抑えるのも、抑えないのと
同じだけ危険なことであると僕は思います。
日本はシルクロードを伝わって様々なことを、
外国に教えてもらってきた
これはその通りですけど日本だけでなく、世界の国々は結局
相互にお互いの文化や慣習を交換しあって発展したんですよね。
どっちがどうっていうより「お互い様」なんだと思います。
その事実を狭い心で否定している
それ(文化の影響をもらった)とこれ(危機感)は別の話。
過去に文化的交流のあった国が必ずいい国*5かといえば
そんなことは全然ありません。
今の憲法では拡大解釈されて、自衛隊は実質軍に
なっているし、イラクにも派遣されている。
もし九条を変えたらどうなってしまう?という不安がある。
9条の解釈の問題が出てきましたね。
これは非常に重要な論点ですし難しいところも多分にあるので、
まず主張している人達別に、それぞれの解釈について説明し内容に入ります。
1、日本国政府の立場
国際紛争を解決する手段としては軍隊の保持は禁止されているが、
自衛権としての戦力の保持はこの範囲外であり、自衛隊の存在は
許される。
2、裁判所の立場*6
高度に政治的な判断を含む事柄なので明らかに違憲、
明らかに合憲である時以外は裁判所が判断する事由ではない。
3、憲法学会*7
自衛権の存在は認めるが、その手段として武力を行使することを
憲法9条は認めていないので、その実現の手段として自衛隊を
持つことは憲法に反して違憲である。
※細かな解釈の内容については要望があれば説明します
上の解釈の違いからもわかるとおり、拡大解釈して自衛隊の存在を認めてるのは
日本国政府と、その御用達学者だけです。
これをもって自衛隊を実質軍隊として日本国内で問題なく認知されていると
言ってもいいのでしょうか、少なくとも憲法を専門に扱う学者達は異を唱えている以上、
問題として扱い、何らかの改正をするのが法治国家、ならびに先進国としての
日本の責任だと僕は思います。
しかもイラクなどの海外派兵の時には特殊な法律を作り、自衛隊を派遣しています。
九条があるから海外にいけないわけではなく、特別法を作れば行くことは現状でも
可能なわけで、「護憲」は「海外派遣」問題を解消する手立てには不向きです。
なぜかといえば海外派遣問題で9条の有無により変わるのは、手続きの省略化だけなのですから。
この人が懸念している海外派遣問題で、大切なのは
「なぜ派遣が必要なのか」
ということであり、それを「日本はどうなるの」という不安だけで打ち消してしまうことは
大きな問題を秘めています。なぜなら、この手段では「なぜ派遣が必要なのか」という問題を
解決しておらず、その問題が生じさせる、
近隣諸国との関係・国連での発言力・世界の平和維持活動の促進
等々の様々な効果をも無視している考えだからです。
これからの日本や世界情勢に本当に懸念を持つならばこそ、
時代に適合した憲法改正をし、9条を守るならばどのような手段で
上に挙げた問題を解消していくかが大事なところです。
それもせずに「派遣=×」「改憲=×」なんて一元的な見方を固持するのは
個人レベルなら問題なくても国家レベルでは激しく問題です。
殆んどの人が自衛隊を派遣なんかしなくて良い状況がいいし、
戦争なんてしないほうが良いって思っているんです。
それでも具体的に何かしなければならない時に、
自衛隊はあるし、必要なのだと僕は主張します。
日本人として「つつましやかな心」を取り戻すことが、
国益から考えても大事。
意見を主張しないことを美徳とするのは日本の伝統です。
その価値観も日本では通用しますが、外交のテーブルでそれを
行なったら大多数の日本国民には害を及ぼすでしょうね。
自身だけの責任の行なえる範疇であるからこそ
「つつましさ」は輝くのであって、その要件を持たないものは
単なる無謀・無策と同義語に感じてしまいます。
- とりあえず休憩・・・今見直したら解り辛すぎましたね。
大規模な修正を後半に施しました('A`)ミテクレタヒトスイマセン