こころ

宿泊先に日本文学全集があったので、夏目漱石(前の千円札のイメージキャラクター)の『こころ』を読んでいます。既読の方には説明いらないでしょうが、書生の「私」が海岸でしりあった「先生」との関係や関わりを深めてきた経過を語ることで物語が進められる作品です。
作中で先生は自身のことを「世に関わりを持つに不適格。」であると評し、過去の事例より「人は基本的に大半の人が善良であるがいよいよとなればその悪性を吐露する。」そしてその被害を被った復讐心を未だもっているが実行していない、しかし「自分は人全てに対して嫌悪感を持っており、それ故に間接的に復讐をしているのだ。」と私に話している。
過去に読んだのは中学か高校の時でこの思想に理解が及ばなかったけれど、今は一定の理解が示せる。人を善人と悪人に分ける二分法の現実とのギャップに違和感を覚えだのは大分昔だけれど、最近ようやく人の人間性を評する時に部分評の総体こそが大事で、不必要なカテゴライズこそ自分の本来持っている判断の自由からの逃走なのだと考えるようになりました。
そんな僕だから、僕の人に対する誠意とは逃げずに相手の部分部分に向き合い、真にどういう人なのかをカテゴライズせずに見て接することなわけですがそれをすると人に冷たいとか誠意がないといわれる悲しい現実。 多くの場合、人は自分を適切に他の人にみられたがる割にだめな箇所を指摘されるのは嫌います。それは本質的には自分の価値を認めている部分に他人の同意が欲しかったり、単純に褒められたいだけだからだとかしてそれに答える事が誠意だと言われます。
そんな人だからこそ善人は善人で悪人は悪人とカテゴライズして騙されたり裏切ると罵るわけですね、わかります。誠意にも種類がある、脱線しましたけど前半の感想文でした。