大人と子ども

「もう子どもじゃないんだから・・・」「子どものくせに・・・」
様々な場面でこの言葉を言われ、あるいは言って育ってきました。
いつからが大人なのでしょう、いつからが子どもなのでしょう。
日本の法律では民法第3条に「満20歳を持って成年とする」という条文が
大人としての根拠として20歳を示しています。
成年=大人とは一概に言い切れませんが、法律上の責任と義務が発生するのは
満20歳なので少なくとも法律上はここが区切りのようです。
では実際の社会ではどうか。
 

 僕は17歳の時に「子どもじゃないんだから・子どものくせに」という
二つの言葉を同じ人に一ヶ月の間も置かずに使われた時につっかかりました。
「あんたこの前、子どもじゃないっていってたじゃねーか」
「あまえるんじゃない、自分で稼げもしないくせに」それが相手の返答でした。
当時の僕は17歳という年齢が酷く不満で早く20歳に成りたかった。
今考えると、ちょっと恥ずかしい。


 「大人」「子ども」も単なる言葉であって、ある価値観というメガネをつけた
ところから見えるものの一つにしか過ぎないと今の僕は思っている。
そして人はその価値観や状況によって、この言葉を自分の必要なように使い分ける。
歳で大人か子どもかどうか決めることができるのなんて法律の中での話であり
人間一人一人の行動や考え方が大人か子どもか判断するとした時には
歳を考えると逆に弊害になると思う。
例えば15歳の正社員と34歳のアルバイト、この二人のどちらが大人だろうか。
僕はこれだけの情報では判断がつけられないんじゃないかと思う。
34歳の人は自分のやりたい事にベクトルを向けて日々訓練を重ねて行動している為
アルバイトをしているかもしれないし、15歳の人がやりたいことがなく
日々をすごす為に生きている人かもしれない。


 人という字は支えあうから「人」って書くんだよ、って話が大嫌いだ。
人は1人で「人」なんだ二本の足でしっかり立ってるから「人」なんだ。
自分の責任は自分で取れる人こそを僕の価値観では大人と呼びたい。
それができない人を子どもと呼びたい。
親が自分の子を育てるのは親が二人の判断で子どもを作ったから。
人間は発生当時はどうしよもなく不完全、一人では立てない。
扶養責任を果たすからこそ親は親として胸を張って子どもと接することを
していいと思う。そこには愛と呼ばれる僕にはまだ理解できずにいる
概念があるかもしれない、それは否定しないが扶養を拒否する奴に
愛も子も責任も大人も語って欲しくない。
このことから「お金を稼げるから=大人」ではなくお金もあって経済的にも精神的にも
自己の行動に責任を持ちつつ、行動できる人こそ大人なのではないかと思う。


来年僕も成人式に呼ばれるらしい、でも多分いかないだろう。
僕を自分達の価値観の中で都合のいいように子どもと大人に分けていた人
達が祝福してくれる式典になんて行きたくない。


「大人」になれた人が好きです。
なれてないのに「大人」だとか勘違いしてる人が嫌いです。
大人とは20歳になればなるものじゃなくて、成長してなるものだと思います。
そんな僕は「大人」に憧れ、なろうと努力する一人の
「子ども」だと思います。