表現すること

歌を唄う、詩を綴る*1、文章を書く、作品を作る、そして勿論話す事。
全てが何かを伝える手段として使われます。
そして、その社会的有効度等が高いときに金銭との取引によって対価が発生します。


だからこそ、この社会でお金を稼いで生きていこうとするならば、
僕らは、対価に見合う内容持ち、伝達率が十分な手段で伝えねばなりません。
何事もそうですが、その人が感じたり思ったことを他の人に完璧な形で伝えることは不可能です。
クオリアの話を持ち出すこともなく、僕の敬愛すべき芸人、江頭2:50さんのお言葉で、
その証明は十分に成ります。


「生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ?
 こんな簡単なことさえ言葉に出来ない。」        -江頭2:50-

言葉という伝達手段では色は伝えられない。
いえ、他のどの手段を用いてもあなたの感じた事を伝えることは不可能でしょう。
そもそもあなたが思ったことを表現しようとしたときにあなた自身がフィルターになるのです。
そして表現する手段がフィルターになり、表現する道具や媒体がフィルターになり、
最後に受け手がフィルターになる事で、あなたが伝えようと思ったことはその都度形を変えるのです。


そんな不完全な表現しかできない僕らでも、何かその一部でも人に伝えて喜びを得たり、
それによって生きていく事に必要な何かを得ることが日常的に行われています。
しかし、まずは自覚して絶望しましょう。
僕らは『それ』をありのまま伝えることはできないのです。


その上で僕らが表現できることは何か?どうすればせめてその幅が広がるのか?
上で挙げたフィルターの存在を意識して考えて見ましょう。

  1. 考えたこと

あなたの人生で選んできた経験、あなたの考えてきた事、世の中の出来事。
要因を挙げたら数限りない様々なことがあなたの気づきや思考に影響を与えます。
できる限り広く深く色々な物事と関わること、これがあなたの思考の幅を広くし、
表現することの基礎となるものを作り上げます。

  1. 自分というフィルター

簡単に言えばあなたの選択した思想や考え方、人生哲学がこのフィルターです。
僕らが生まれてから、今まで生きてきた中で上でも述べた様々な経験をしてきました。
そして、その中でより所となる基礎立場としての思想を独自に形成しているのです。
そして、この思想や哲学に反する表現は自分自身で規制してしまうのです。
その方が安全だから、その方が楽だから、色々な理由はあるでしょうが、この経験則が
フィルターとなってあなたの表現をあなたが規制することになるのです。

  1. 手段というフィルター

例えば超音波に属する超高音を20年

*1:読み方:つづる 念のためね。