人間関係。

安定することは大切です。
安定しなくては幸せの追求を長い目で見て実現することは不可能です。
それでも、いつからか安定が手段になり、今までの自分の目標だとか大切な物が叶わなくなっては、
それまでの大切にしていた価値観を満たすことはできないでしょう。


それでも色々な事情があってこの前提を実現するのが大変なのも解ります。
一緒にいたいと思う大切な人が、自分の大切な価値観を理解する土壌が無い時、
自分の大切にする価値観に素直であるとき生活の安定が危うく、
一緒にいたいと思う人と離れなきゃいけない時には割り切れずも妥協をするのでしょう。


ただ、やはりこれを割り切れることができず、安定的な生活に流される中で
どこかでかならず引っ掛かりを覚えるはずなんです。


勿論、一般的な視点からその人物の安定的な生活を見たら仕事もあって生活も安定している、
やりたいことをする余暇の時間も少くとも確かにある。
『こんな生活を送ってれば幸せだろう?』


でも、そんな生活で満足できる価値観を持っていなかったら無理なんです。


勿論、価値観といっても変化していく物で変わっていくものですから、
いつかは、その生活に順応する時がくるのでしょう。
そうして多くの人が自分の人生と価値観と社会に妥協して生活していくのですから。


ただ、そうなった時に、その人には『その生活が一番だ』と言って欲しくは無い。
『自分は妥協したんだ』そう思って欲しいし、その価値観をせめて周りには押し付けないで欲しい。


少なくともそんな人生を送るくらいなら自分は死ぬことを選ぶ、
その程度の社会には価値を持てないと思う人だっているからなんです。
それは酷く悲しい事ですが、それが正しい側面も持っているはずなんです。


安定した生活、一般的な幸せ、+自分の価値観を満足させる自分の幸せ
これをバランスよく獲得できるといいですね。
その為に書きます。

そう思わない理由を考えたことはあるかい、じゃぁ違和感の正体は?