アムウェイとかマルチとか

アムウェイネズミ講 
アムウェイマルチ商法

そもそも言葉という物は人によって全て定義が違うので、必ずしも上の式は
当てはまりませんが、一般的に研究されている定義でいうと上の式の分類になるということで。

さて、何を申したいかといいますと、アムウェイの勧誘を盗み聞きしました(教室で)<会話>
女「この化粧水と乳液使うとな、肌が超若返るんて。」
男「えー、でもそれアムウェイって書いてあるやん、アムウェイってネズミ講やろ?怖いわ。」
女「ちがうんて、アムウェイネズミ講と違うんて、商品もいいものやし。」
男「ネズミ講やんネズミ講
女「ちがうんて、それは意識の低い小売の子達が自分のせいで失敗したのを逆恨みして
  言ってるだけなんて、本当なら営業妨害で訴えてもいいこと何やけど、アムウェイ
  心が広いから許してるんて。」
男「えー・・・、でも確かにお前肌きれいやなぁ」
女「ありがとう、んでな最近は男の子でも凄い肌きれいな子おるやん?そんな子達は
  生まれもってそんな肌なわけやなくて、化粧水と乳液で基礎の肌に気を使ってるんよ。」
男「俺も肌綺麗にしたいけどネズミ講にてー出したら友達いなくなるしなぁ・・・。」
女「いや、だーかーらーネズミ講やないて、まっとうな商売でまじめにやってる人も
  多いねん、私に紹介してくれた人なんか一部上場企業の社員さんだったんけど
  会社の中で成果出すより、こっちで成果出したほうが残るもんが多いからって
  こっちで凄い頑張って儲けてるんやで。」
男「んー・・・・。」
女「そりゃ無理にとはいわんけど一回使ってみてや、効果見たら考えも変わると思うし。」
男「んー・・・いいわぁ。」
女「なんでー?普通の市販のなんか使ったらめっちゃ肌に悪いで?私なんてアムウェイ
  化粧品使いなれてから、比べる為に一回他の化粧品使ってみたけど肌がぴりぴりして
  きて駄目やったし、本当にいいもの使わんと見えないダメージ残るんよ?」

さて、知り合いがアムウェイをやっている人、勧誘をされたことがある人、
実はやってたことがある人色々いらっしゃるとは思いますが、
基本的にアムウェイ及び、マルチ商法及び悪徳商法各種に対して
多くの人はびっくりするくらい無知です。

マルチ?アムウェイネズミ講?⇒全部悪いもんだろ?
マルチ?アムウェイネズミ講?⇒何それ、儲かるの?
マルチ?アムウェイネズミ講?⇒?

結論から言えばネズミ講は社会的に悪いもので『犯罪』です。
マルチ商法は『一定のルールを遵守』する場合、合法的な商法です。
アムウェイは特に会社としてはこの『一定のルール』を守り、世界で一番と
言っても過言ではないくらい成功したマルチ商法の会社です。
上の会話の中にも出てきましたがアムウェイを始めた事でお金持ちになった人も
実際に多数居ますし、そういう人の例を否定することはあんまり意味がありません。
逆にアムウェイの勧誘員の中には逮捕されて捕まった人もいますが、
彼らはアムウェイと取引をする『個人事業主』であって、アムウェイ本社の
責任を問うことは難しいでしょう。

さてさて、そんな僕らがアムウェイ及びそれに類するものたちと、
どのように関わるべきなのか。



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簡単に言えば、アムウェイは割に合いません。(正確に言えば合わないことが多い)
成功率が低いくせに、投資費用がかさむので期待値がかなり低いです。
つ・ま・り
儲ける為にアムウェイの事業主⇒宝くじを一年200日労働してやっと買う権利をもらう様な物


一定の合理性があって、システムを理解し、先が見通せたらこんなもんやらないんですけど
そうじゃない人ってのは、皆さんご存知の通り結構いらっしゃいます。
合理性がまったくない人ってのも、流石に皆無でしょうけどその合理性を
『錯覚させること』がこの手の商売の一番のキモです。
普通に考えたら期待値が低く、賭けるに値しない事が多い投資先であることに
気づけば、自然と手も引いていきやすいし、誘われても心揺れずにお断りできるでしょう。


アムウェイは間違いなく儲かるシステムです、主にアムウェイ社が。
逆に事業主の人がアムウェイの商品で儲けれるほどの営業能力をお持ちだということは、
他の事業の営業でも十分やっていけるでしょうし、アムウェイがその割に合った
資金を提供しているかといえば、はなはだ疑問です。


アムウェイ=悪だとかってところで勉強をやめているとアムウェイの中にも
真実『お得に見える何か』はあるので、そこに引っかかってしまったり、
知り合いを辞めさせることが出来なかったりしてしまいます。
自分の為にも、周りの為にも怪しい話があったら頭ごなしに否定したり、
肯定したりするのではなく、きちんとシステムを把握することからはじめましょう!


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無料にて相談を受け付けております、無料なりに返信はいい加減だけど(笑)

著作権

ただその個人の表面の為にあらず、ただ社会の表面の為にあらず。
利用し難い事が必ずしも悪ではない。
理解し難い事が悪ではないか。
知る努力もしない者がそれにつき論ずる事が倍悪い。


アナタはなぜそれが悪いと思うのか、その理由が表層という物事の見えやすい極一部しか掠めない物である時、それを主張したら・・・。

愛国心についてのメモ

愛国心は大げさに壮大で素敵である様に語ることもあるけど自己愛の拡大だと思う


一人でいるより集団でいるほうが『自分の』都合がいいから群れを成し
社会を形成して、その社会を徐々に安定した物にしてより『自己の都合を』
優先して守る社会システムをお互いに持つことで『個人』としての生活を守る
その上で時に『自分の都合に』大切な人を守ることにもなる。


時にその社会システムという手段を守るためにそれ自体が目的になることも
あるけれど、それをしなければ本来の目的である『自己の都合』『個人としての生活』が守れないのだから仕方ないし、平時はより社会が『他の社会』よりも
優位に立っていき、『自分の安全』の為のシステムを守ろうとする


愛国心は善い悪いは別にして声高らかに掲げるものじゃなく、
自分の安全の為に社会で共有する根幹意識であるはず

人の話を聞かないで自己保身の解釈に長けた人ってのは狂信的な宗教者とはなすのと同じくらい大変だと解った長野の旅前半。その宗教の名前は平和です。
『平和にも善い平和と悪い平和がある』

民主的や人権をかたるその人が人の話を聞くという最低限必要なことすらせずに一部の意見を自身の中で言論弾圧してたらその民主的おままごとには付き合いきれません。



明日こそ実家に帰ります。

こころ

宿泊先に日本文学全集があったので、夏目漱石(前の千円札のイメージキャラクター)の『こころ』を読んでいます。既読の方には説明いらないでしょうが、書生の「私」が海岸でしりあった「先生」との関係や関わりを深めてきた経過を語ることで物語が進められる作品です。
作中で先生は自身のことを「世に関わりを持つに不適格。」であると評し、過去の事例より「人は基本的に大半の人が善良であるがいよいよとなればその悪性を吐露する。」そしてその被害を被った復讐心を未だもっているが実行していない、しかし「自分は人全てに対して嫌悪感を持っており、それ故に間接的に復讐をしているのだ。」と私に話している。
過去に読んだのは中学か高校の時でこの思想に理解が及ばなかったけれど、今は一定の理解が示せる。人を善人と悪人に分ける二分法の現実とのギャップに違和感を覚えだのは大分昔だけれど、最近ようやく人の人間性を評する時に部分評の総体こそが大事で、不必要なカテゴライズこそ自分の本来持っている判断の自由からの逃走なのだと考えるようになりました。
そんな僕だから、僕の人に対する誠意とは逃げずに相手の部分部分に向き合い、真にどういう人なのかをカテゴライズせずに見て接することなわけですがそれをすると人に冷たいとか誠意がないといわれる悲しい現実。 多くの場合、人は自分を適切に他の人にみられたがる割にだめな箇所を指摘されるのは嫌います。それは本質的には自分の価値を認めている部分に他人の同意が欲しかったり、単純に褒められたいだけだからだとかしてそれに答える事が誠意だと言われます。
そんな人だからこそ善人は善人で悪人は悪人とカテゴライズして騙されたり裏切ると罵るわけですね、わかります。誠意にも種類がある、脱線しましたけど前半の感想文でした。